進化するcoaching

バスケットにおいて、shooting coachなど誰でもがなれるわけではない。
その要素を持つ持たないという事には、絶対的に理屈では測れない結果的な力と感覚が必要である。
戦術的にチームを育てる事に能力が長けている者がいたとして、それは個人能力向上という観点から考えれば遠回りをせざるわえない。
技術的に、思考的に長けている者が、伝達する能力いわゆる"言葉力"を持っていなければ、その思考は自分だけのものであり宝の持ち腐れという他ない。
体が動くうちは理想の動きや形、言葉にプラスした要素を伝えるとこが出来るだろ。
しかし、キャリアを重ねるほどに培ってきた経験や思考、戦術などかけがえのない武器を手に入れていく。
問題はその思考や経験がもたらす結果は、一様にして同じ結果には結びつかないとこもあると言うところだ。
キャリアを重ね理想を己が表現できなくなったとき、言葉で何を伝えられるか。
成長をやめ、己の過去に縋る限り、何かを育成する立場にはなり得ないという事。


時代の変化は、技術の向上
己の信念の上に積み上がった無数の栄光や成功は、時の流れの中では新たな情報や学ぶべき、進化すべき要素を取り入れていくスペースを邪魔している。
個人のキャバは無限ではない。
得意分野があるように、不得意な分野や出来ない事が必ずある。どこまで認識し、出来る事にやるべき事に力を注ぐか。
間違った道を気が付かず進み続ければ、後戻りに多大な時間を必要とする。
我々は、操り人形を作ってしまってはならない。
人形劇を観せたいわけではないからだ。

親にとっては子は鏡
指導者に置き換えれば、選手は己の鏡であることを我々はひと時も忘れてはならないのではないだろうか。